hachimitsu

あまくて少しにがい日々

2021年4月20日 快晴

昨日も仕事を終えた途端に調子が悪く、スーパーでのモノ酔い・入眠前の希死念慮がひどかった。日常はそれなりに幸せだし、好きな人にもいつか会えると分かっているから耐えきれているのに、どうしてあんなにも気持ちが沈んでしまうのだろうか……と考えていると、来週から生理が始まることに気付く。1ヶ月があまりにも早くて恐ろしい。ピルを飲んでいるのにこんなにもPMSが酷いのはどうにかしたいが、すべての不調を「生理だから」と理由付けられるのはある意味助かる(こんなにも不調になるのは本当に勘弁してほしいが)。それにしても睡眠導入剤を飲むと途端に創作意欲が湧いてくるのは何故なのだろうか。作曲なんてしたことないのに、夢と現実の狭間で彷徨っているとかなりかっこいい曲が頭の中で流れることがある。どうにか覚えておきたいのに起きた後はすべて忘れている。そのときの自分しか知らない幻の曲だ。

希死念慮について:結局生きるのも死ぬのも本人しだいだし、だからこそどうしようもない。もちろん自分は死にたくなんてない、それなのに自分の中にしかいない、いつ出てくるかも分からないような存在がたまに「死んだほうがいい」とひたすら言ってくるから必死で逃げ惑う。これが希死念慮である。ふと、眠れない夜に好きな人と死にたい気持ちについて語った歌舞伎町のホテルでのことを思い出す。あのとき二人はまだ出会って3回目で、しかもわたしが彼を遠ざけようとした後のことだったのに、なんでこんなまだちゃんと知れてない人にだれにも言ったことのないような話をしてるんだろう、と疑問に持ちつつひどく安心して、なんだかおかしかった。白を見るたび二人で寝転んでいたベッドシーツを連想し、あの心地良さを思い出す。そんなおかしなことがまだ待ち受けているだろうから、死んでなんていられないのだ。

青空に聳え立つ十字架を見て救われた気持ちになる。人々は裏切られたくないから、不変なものに安心感を覚える。とは言え大切な存在に対して「変わらないでいて」だなんて言うのはただのエゴである。そうは分かっているものの、夜になっただけで寂しくて一人うじうじしてしまったり、酔うと子ども返りしてしまうような自分も存在するから難しい。

君が大好きだよ 君を愛してるよ
誰よりも愛してるから
「変わらないで」なんて言いやしないよ僕
変わりゆく君を見つめていたい

ラブビデオ 岡村靖幸 w 小出祐介 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 仕事でもプライベートでも強く在りたいとずっと願っている。けれど本当の自分と来たら26歳にしてはあまりにも半人前だし相当の弱虫で、そのギャップが辛いんじゃないかなあと思う。無理しても仕方はないが無理しないとやってられないこともある。どうしたものか。

性の成れの果て

寝ても醒めても岡村靖幸な毎日。仕事が退屈だからという理由で彼の過去のインタビュー記事を読み漁っていたところ、「あぁ、だからこんなにも彼のことが好きなのね」と実感してしまった。

あの性欲でやっているのかと思うときがあるんですよね。つまり救われたいんじゃないのかなと。自分の親と同じ人とやって・・・・だってその人たちだってキムタクキムタクって騒いでいるわけですよ。なのに、体を許すわけですよ、自分のお父さんとおんなじようなひとに。
そこに性欲だけじゃない、さっき言った孤独感を癒してもらいたいとか、例えば、親に愛されなかった記憶があるとかそういうものを癒してもらっているとか・・・・・もうちょっと僕調べないと分かりませんけど。なんか前は『安い奴らだな』とか思ってましたけど、今はもうひと考えしなくちゃなと思っているんですよね。

サブカルのすすめ - インタヴューれぽNO3

 恥ずかしながら、わたしは寂しさで異性に身体を許した……否、こちらから求めた経験が何度もある。昔は「身体を重ねればいつか自分を好きになってくれる」「このまま愛し(ているフリを)続けてくれる」と馬鹿のようなことを思っていたし、本当につい最近までは誰にも愛されなくていい、けれど寂しさをどうにかしたい、という一心で色んな男の人と会っていた。きっと誰かに愛されたい気持ちはあったのだろうけれど、それ以上に裏切られることが怖かった。若くて可愛いうちは色んな男とセックスをして、誰にも構ってもらえなくなったら適当に死んでしまえばいい、本気でそう思っていた。

なんやかんやあって、現在の好きな人と出会う。最初のわたしといえばひどいもので、ひたむきにアプローチを続ける彼に対して「わたし、誰も愛さないから」「他の人との関係も持ったままにするね」なんて平気で言っていた。それでも彼は健気にわたしのことを愛してくれたわけだが、よく「つまらない男に会わないでね」と言われるたび、ツマラナイ男ってなんだろう?と純粋に考えた。今思えば、当時会っていた中では彼以外は全員ツマラナイ男であった。そんな簡単なことにも気付かないでいた自分が恐ろしいくらいに。気付けばわたしは彼の手中に収まっていた。今後のことなんて分からないが、最後に傷付けられるならこの人がいい。だれかを愛し合うためのきっかけなんて、そんなシンプルなものでいい。(余談だが、この頃の彼は初期の岡村靖幸っぽさがあってとても良い。「僕の方がいいじゃない」って何度も思ってたんだろうなと考えると、愛おしい……ノロケ。)

複数の男性と関係を持つ中でよく言われたことは「セックスが好きなんだね」であった。どんな人に抱かれてもいいなんてエッチな女の子だね、と言われるたび、愛想笑いを張り付けながら冷めていく自分がいた。どれだけ顔がタイプでもお金持ちでも、気持ち悪くて仕方なかった。そいつとの適当なセックスを済ませたらシャワーも浴びず家に帰り、LINEをブロックした。こんなわたしのこと分かってくれる人なんていないと思っていたし、「君のこと理解してあげるよ」なんて言いつつ性欲丸出しな男はもっと気持ち悪かったし、全員死ねばいいといつも思っていた。あのときのわたしは間違いなく死んでいた。「誰とでもエッチがしたい女の子」なんて男にとって都合が良すぎる女なんて存在しないに決まっているだろ。そりゃあ不安や恐怖をどうにかするために好きでもない相手とセックスをしてしまう女の子はごまんといる。それを「メンヘラ」とだけ軽蔑して、誰にも寄り添わないくせに誰かに愛されたいと求め続けている男の方がよほどくだらなく思えるし、一生だれにも愛されないと思う。

そんな男がうじゃうじゃいるくだらない世の中だからこそ、女の子の純粋で汚い承認欲求に親身に寄り添ってくれる人は一層光って見えるし、そんな男ならすべてを分かってあげたいと思える。「できるだけ純情でいたい」みたいな、いくら熱い夜を過ごしたとしてもなぜかウジウジとしてしまう男ほど愛おしいものはない。この先何かが起きて一人で生きていかなければならなくなっても、岡村靖幸の楽曲だけはずっとわたしに寄り添い続けてくれる。曲中ではエッチな男のふりをするくせに、「セックスだけじゃないよ」「僕を理解してほしい」と訴え続ける彼の声に、あの頃寂しさを埋めようと必死だったわたしの片鱗が見える。とはいえ女の子に対して「寂しい気持ちわかるよ」なんて知ったフリをするわけでもなく、「うーん、もう少し考えなきゃな」と一人でうじうじ考える彼みたいな人、こんな人をパートナーに出来たら世の中の女の子はもっと幸せになれるだろうに、なんてお節介なことを考える。そんな岡村靖幸に出会ったきっかけは「好きな人からカルアミルクを教えてもらった」というこれまたベタなものであり、彼と出会わなければわたしは前述のとおり岡村靖幸の楽曲を知らないまま35歳くらいで酒に溺れて死んでいただろう。人生ってこんなにも容易く輝かせられるものだったのかと、わたしは彼に魅了され続けている。

2021年4月19日 快晴

あいかわらず浮き沈みの激しい毎日を送っている。そりゃ理不尽な目に遭うことは度々あるが、それよりも素晴らしい曲に出会って歌って踊る方が楽しくてなんだかんだ悪くないし、おそらく他人から見れば相当楽しそうに映るだろうと思う。美味しいものを食べてお酒を飲んで好きな歌で踊り狂って本を読んで詩を書いているのだから、そりゃ毎日楽しい。こんな状態で好きな人に会えたとしたら、嬉しすぎて頭がおかしくなってしまうのではないだろうか?彼が直接関わらない毎日を送っていたとしても、素晴らしい曲に出会うたびに彼のことを思い出して泣いてしまうし、夜の新宿を通りがかっただけで彼のことを思い出してしまうくらいにどうしたって好きなのだ。

自分のアイデンティティがようやく定まってきたこともあり、世の中の素晴らしいものから感銘を受けて感情があふれ出す日々。歌、ダンス、アート、本、ご飯、お酒、雑貨、場所……。世界はこんなに眩しいものだったろうか?わたしの頭の中にはいつだって今の感情を表す歌が流れていて、ここ最近の人生の歌といえば下記のとおりだ。

月は決して泣いていないし 鳥は唄を忘れてはいない
変わらずそこにあるものを歪めて見るのは失礼だ

だって知っている言葉はほんのちょっとで
感じれることはそれよりも多くて
無理やり窮屈な服 着せてるみたい

ポルノグラフィティ パレット 歌詞 - 歌ネット

 

2021年4月14日 雨

自身が書く詩は気に入っているし何度も読み返したくなるが、気に入らず「なんだこんなもの!」と思うことも往々にある。言葉がつくる魅力を発揮できないとは、こんなにももどかしいものか!満足いく詩を生み出すにはもっとたくさんの勉強が必要だ。本を読み漁り、良い作品に触れ、「盗作にならないギリギリのライン」を責めつつ感性を磨く。どうあがいても時間が足りない。日記も言葉を紡ぐ練習のひとつにはなっていると思うので良い習慣である。

思えば、初めて詩に魅せられたのは小学生の国語の授業で読んだ高村光太郎作「智恵子抄 レモン哀歌」である。たくさんの言葉に触れてきたが、あんなにも綺麗で繊細で物悲しい言葉は他に見たことがない。愛する人を失った悲しみ、残された者が生きるために与えられた希望。完全なるわたしの原点である。

今朝もトーストを齧りつつ、すっかり恒例となった岡村靖幸鑑賞会で血圧を上げる。「はっきりもっと勇敢になって」のピアノ弾き語りを観ていたら、自分でもおかしいくらいにいつの間にか大粒の涙が溢れていた。わたしはわたしの人生の中に答えをずっと求めていて、それがどんな形でも良くて、いつまで経っても答えが見つからないことが一番の恐怖であったから、苦しそうな表情でピアノを鳴らし「僕がアンサーだぜ」と歌い上げる彼の姿は、ひどく安心する。彼の破廉恥で純朴で波乱にまみれ、何よりも綺麗な生き方は誇れるものでは無いかもしれないが、過ちを犯しそれを償い、歳を重ねても独りで自分の生き方を模索し続けている人間ほど、信用できるものは無いだろう。彼を見ていると、わたしの人生、どんなことがあったって良いと思える。この世には良い音楽が沢山溢れているのだから。

昨夜は好きな人からのSOSサインのような電話を受け、無力な自分がたいへんにもどかしくなった。彼に降りかかる怒り、哀しみ、すべてから守りたいとこんなにも思っているのに、こんなにも歯痒いものか・・・。もう2ヶ月以上前の話だろうか、彼と歌舞伎町で会った夜のことをふと思い返す。人間不信に陥っていたわたしと彼が、グッと距離が近づいた夜のこと。彼と過ごした時間はどれもまるで夢のように輝き続けている。次会える日まで一層素敵な人間になるために、「出会えて良かった」と思いつづけてもらうために、努力を続けるしかない。

2021年4月13日 曇

よく「君はどこでもやっていけそう」と言われるが、割とその通りで、新天地での業務もなかなか慣れてきた。相変わらず理不尽なことはあるが、イライラしてこなしてすぐ忘れる、の繰り返しでなんとかやっている。ふと、好きな人と居酒屋で飲んだときのことを思い出し、また行きたいなぁと考える。誰もいないフロアで楽しかったときのことを思い返しながらなんとなく仕事をこなす、こんな時間は悪くない。

日に日に岡村靖幸に魅せられている。彼の曲を初めて聴いたのは4月4日「カルアミルク」、彼のパフォーマンスを初めて観たのは4月8日「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう(ライブ エチケット)」。こういうことはすべて覚えておきたいのにすぐに忘れてしまうから、ここに遺す。
というわけで、わたしが初めて見た彼の姿はサラリーマン・スタイルになってからであり、最初は「コミカルなおじさん」という印象で、けれどどこか闇を抱えているような、どうしてだか守ってあげたくなるような気持ちを抱いた。そして彼のことを知るごとに、彼が抱えている闇の姿、よく口にしている「僕の理解者になってよ」という言葉の重みを知る。彼は見た目には自信を持っているくせにどこか不安げで、女の子に理解を求める。セックスだけじゃない、彼氏になりたいんだと懇願する。きっと自分の見た目やステータスだけではなく、本当の自分を心から理解してくれる人を昔はもちろん、50代になった今でも求めているから、こんなにも彼に惹かれたんだなと思う。
もちろん本人の人柄だけでなく、歌、ダンス、歌詞、曲、パフォーマンスすべてに魅せられている。同じ動画を見ているはずなのに「あれ、なんかこの前と違ってない?」と感じ、何度でも観たくなる。生きる時間が増えるほどに遣る瀬ないこと、どうしようもないことが増えていくが、彼に魅せられている間だけはすべて忘れることができる。この中毒が一生続けば良い。

2021年4月11日 晴

多忙に追われる日々、記憶にも無いので割愛。

辞書が欲しくなり、駅前の本屋に下見しに行ったところ、まさかの閉店していたことが発覚。結局そこで本を買ったのは昨年10月、中也の詩集が最初で最後となってしまった。世の中の諸行無常に打ちひしがれる。とは言えいつまでも悲しみに明け暮れるわけにもいかないので、気を取り直して近所の古本屋へ行く。とても狭い店内で、本を探すのにはだいぶ時間をかけるタイプのわたしには少し辛い部分もあるのであまり行ったことは無かったが、ここまで潰れてしまっては立ち直れる気がしないので、応援の意味も兼ねて本を購入。村上春樹著「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」セブン・イレブンでアイスコーヒーを買い、煙草を1本だけ吸い、近所の公園のベンチに座って読む。

僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。

 

彼のエッセイを読むのは初めてだったが、まえがきに書かれているこの一節ですでに感嘆、買って良かったと抱きしめたくなった。中身も著書本人が世界各国でウィスキーを飲んだ感想を語る、ただそれだけのことだが、どうしてここまで魅かれるのだろうか。いい言葉に出会うたび、文章を読むこと・書くことに取り憑かれてしまう。古本屋の品ぞろえは、わたしの感性を見透かしたかのように素敵なものしか無い。とは言え応援できる範囲にも限りがあるので、気になる本を下見し、近所の図書館で読むという姑息な手段も活用しようと思う。

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2021年4月7日 晴

上司と飲みに行き、めちゃくちゃな二日酔いで出勤。繁忙期・欠員2名の危機的状況に加え、サーバーダウンという追い打ちの中、必死で働く、働く……。忙しすぎるとハイになる人間なのだが、人生で一番のハイを迎えた。この後の反動が恐ろしい。帰宅し、ご飯を食べる気力も起きないのでお客さんからもらったお菓子を適当に食べ、音楽を聴きながら就寝。明日から新しい環境、考えたって無駄なのでとりあえず動く。