hachimitsu

あまくて少しにがい日々

2021年4月14日 雨

自身が書く詩は気に入っているし何度も読み返したくなるが、気に入らず「なんだこんなもの!」と思うことも往々にある。言葉がつくる魅力を発揮できないとは、こんなにももどかしいものか!満足いく詩を生み出すにはもっとたくさんの勉強が必要だ。本を読み漁り、良い作品に触れ、「盗作にならないギリギリのライン」を責めつつ感性を磨く。どうあがいても時間が足りない。日記も言葉を紡ぐ練習のひとつにはなっていると思うので良い習慣である。

思えば、初めて詩に魅せられたのは小学生の国語の授業で読んだ高村光太郎作「智恵子抄 レモン哀歌」である。たくさんの言葉に触れてきたが、あんなにも綺麗で繊細で物悲しい言葉は他に見たことがない。愛する人を失った悲しみ、残された者が生きるために与えられた希望。完全なるわたしの原点である。

今朝もトーストを齧りつつ、すっかり恒例となった岡村靖幸鑑賞会で血圧を上げる。「はっきりもっと勇敢になって」のピアノ弾き語りを観ていたら、自分でもおかしいくらいにいつの間にか大粒の涙が溢れていた。わたしはわたしの人生の中に答えをずっと求めていて、それがどんな形でも良くて、いつまで経っても答えが見つからないことが一番の恐怖であったから、苦しそうな表情でピアノを鳴らし「僕がアンサーだぜ」と歌い上げる彼の姿は、ひどく安心する。彼の破廉恥で純朴で波乱にまみれ、何よりも綺麗な生き方は誇れるものでは無いかもしれないが、過ちを犯しそれを償い、歳を重ねても独りで自分の生き方を模索し続けている人間ほど、信用できるものは無いだろう。彼を見ていると、わたしの人生、どんなことがあったって良いと思える。この世には良い音楽が沢山溢れているのだから。

昨夜は好きな人からのSOSサインのような電話を受け、無力な自分がたいへんにもどかしくなった。彼に降りかかる怒り、哀しみ、すべてから守りたいとこんなにも思っているのに、こんなにも歯痒いものか・・・。もう2ヶ月以上前の話だろうか、彼と歌舞伎町で会った夜のことをふと思い返す。人間不信に陥っていたわたしと彼が、グッと距離が近づいた夜のこと。彼と過ごした時間はどれもまるで夢のように輝き続けている。次会える日まで一層素敵な人間になるために、「出会えて良かった」と思いつづけてもらうために、努力を続けるしかない。