hachimitsu

あまくて少しにがい日々

先日見た夢のことを考える。好きな人がわたしから離れ、わたしは夢の中でそれをなんとなく受け入れていたが、身体の大切な臓器がすっぽりと抜け落ちてしまったような喪失感を抱いていた。

未だにすべてが夢なのではないか、と、毎朝起きるたび怖くなる。隣に彼が寝ているときですらそう思うのだから、よほどのことだ。もしも本当にすべてが夢だとするならば、泣き喚くこともなく案外すんなり受け入れられるだろうけれど、きっと一生喪失感を抱いて生きていくような気がする。あの日見た夢の中のままだ。

人はどのようにすれば、心から感情を実感できるのだろうか?詩や短歌さまざまな方法で言語化する、自分の心情を歌ったような曲を聴く、退屈な日々の中で模索して試してはいるものの、まだ足りない気がする。否、足りてはいるかもしれないが、毎日更新される感情についていけていないような気がする。だって少し前のわたしはといえば、毎朝乗りたくもない満員電車に揺られ、代わり映えの無い仕事をやり過ごし、毎晩乗りたくもない満員電車に揺られ、ただ明日に怯え眠るだけだった。心地の良い道を歩くだけで職場に着き、暇なときにはこうして日記を書き、中央線沿いの自宅にてもっとも尊敬する人と過ごすのを楽しみに生きているなんて、到底信じられないのだ。

好きな人と過ごした濃密で輝かしい時間を一分一秒たりとも取り零さないよう、何度も何度も反芻することで精一杯になっている。時間は止まることなく季節は巡り、彼と出会った冬、これから始まろうとしている春が、今後の人生において幾度となくやってくる。その頃わたしはもう少し大人になれているだろうか?