hachimitsu

あまくて少しにがい日々

名前をつけてやる

わたしは人の名前について考えるのが異様に好きだ。恋人ではなく、友達でも職場の人でも、その人の名前について考えることが好きだ。意味もなくその人の名前を繰り返したくもなる。実際、人の名前を聞いて、「この人にこの名前、全然似合わない」と思うことってあまり無い気がする。

近頃いちばん感動したのは、好きな人の名前である。結局、その人が何を考えているのか、こんなときどう思うのか、等々深いところまで分からなければ心から感動することはできないので、まぁそういうことになる。とはいえ一定以上深い仲になった人は何人かいたとしても、好きな人の名前はとびきり良い。他が比べ物にならないほど。どこか良いか、わたしの目にどう映るか詳しく書きたいが、さすがに公開するわけにはいかないので思考の中で終わらせることにする。ただ一つ言えることは、彼と一緒に居るときの心地よさと安心感を表すための名は、きっと他に存在しないだろう。初めて名前を教えてくれたときはこんなに腑に落ちていなかった。彼のことを深く知ることができたという実感が、わたしを嬉しくさせた。

自分はと言うと、自分の名前は大層気に入っているが、なんだかぴんと来ていない。「この子、とてもよく似合う名前をしている」と他人から思われるための手段をまだ知らない。もちろん、名前に似合うために生き方を変える、なんてことをしたら趣旨からは外れてしまうと分かってはいるけれど……。

感情に名前をつけるのはとても難しい。何十年と生きてきた人間が持つ感情をたったひとつの名前で表すなんて、到底無理な気もする。彼に対して抱くものは「慈愛」がもっとも相応しい気がするが、どこか足りない。それを見つける旅はまだまだ続くだろう。