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あまくて少しにがい日々

2021年3月30日 曇

眠剤に身体が慣れていないからか、生理前だからか、寝苦しく身体が重い。今日も渋々起床、目覚めに気分が悪いのはシンプルに辛い。なんとかシャワーを浴びて弁当を準備して朝食をとる。今日も始業時刻を1分過ぎて出社する。適当に仕事をこなし、職場の人と喋りながら、漠然とした吐き気に耐える。好きな人に会えるまで数時間、今すぐにその時が来てほしいような、まだ来てほしくないような、よくわからない感情を抱えている。

仕事が地味に忙しく、人の心が分からないような人間が多くてかなりのダメージを受ける。そんな中に見る好きな人からの言葉はとにかく綺麗で、どんな憂鬱も一瞬で吹き飛んでしまう。この気持ちをどんな風に表そうか、どんな風に残せばいいのかわからなくて泣きそうになる。どんなに理不尽な現実にも負けないような不確かなものを見つけられたこと、それだけは絶対に忘れないでおきたい。理想とする完璧を求めるのではなく、ありのままの姿を愛せるような、そんな人間になりたい。

2021年3月29日 快晴

深夜、強い雨音で目が覚める。水曜にお花見に行く予定なのに、桜が散ってしまうのではないかと心配になって目が冴える。眠剤に身を任せて無理やり眠る。夜通し好きな人の夢を見る。7時のアラームで渋々起きると汗をかいていることに気付き、春の訪れを感じる。サニーデイ・サービスを聴きながら朝食をとり、身支度を整え、職場へ向かう。今日もきらきら光る桜の花びらが降り注いで心地が良い。春というだけで気がおかしくなる。仕事も生活も一切の心配を置き去りにして、このままどこかへ逃げてしまいたくなる。職場のおじさんの心配事を聞きながら日記を書く。明日の夜は好きな人に会えると考えるだけで、馬鹿な犬みたいにそのへんを走り回りたくなる。心配事が多いだけで、そのへんの人よりもよほど幸福である。適当に仕事をやり過ごし、昼食を掻きこみ、サニーデイ・サービスのアルバム「東京」を聴きながら職場内をうろうろする。ちょうどいい日陰のベンチをずっと探しているのだが一向に見つからない。日差しが暑いくらいだ。浮足立っている若者たちを横目に、ひたすらうろつく。たくさん歩いたおかげでこれを書いている13時、かなり眠い。

仕事終わり、1時間だけジムで運動する。家族が送ってくれた小包が届くとのことなので、早めに買い物を済ませて帰宅。普段の2倍の量で同額のミニトマトが売られていたので思わず購入したが食べきれるかどうか、オリーブオイル漬けなどにしてしまおうか……。ミニトマト(大量)とレタスとゆで卵とゆで鶏のコブサラダとサラミをつまみに赤ワインを飲みつつ、サニーデイ・サービスを聴く。偶然聴いていた曲が「3月29日のバラード」でもはや恐怖すら感じる。サニーデイ・サービスはとにかく詩が良く、決して応援してくるわけではない心地良さがある。「青春狂走曲」「夜のメロディ」「完全な夜の作り方」が気に入っている。感銘を受けて詩を書くが、相変わらず毒にも薬にもならないようなものしか書けず落ち込む。眠剤を飲んで就寝。

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2021年3月28日 曇

近所のジムに行った。運動をしたいが天候に左右されたり、車や犬の散歩を避けて走るのが億劫、しかしジムに払う金なんて無い、とずっと言っていたわたしに吉報は突然訪れる。行きつけのスーパーにて発見したチラシ、月額税込み2980円で通い放題、3月末まで5000円の入会費なし。入るしか無いと思った(これを話した人みんな「通わなくてもいいからとりあえず入りなよ」と言ってきたあたり、わたしのズボラな性格を分かっている)。久々の運動はとても気持ち良いものだった。3年前にも会社の後輩に誘われジム通いはしていたが、他人と行動することにとにかく疲れてしまう人間は他人とジムなんて行くものじゃなかった。最早、ジムよりも休日や仕事終わりに後輩に会わなきゃならない(「後輩に会うためのモード」を作らなければならない)ことがとにかく億劫だった。話が逸れている。ジムは家から徒歩5分というこれ以上に無い好立地。大学の傍に住むのは色々便利だし、家賃もそんなに高くないし、良いのかもしれないと思った。何より運動の最中に聴く洋楽は普段の5割増しでかっこよく聴こえる。しかし、運動中はかっこいい!と思ったはずの曲でも、家に帰ってから聴いてみるとそこまで感動しない。何故……?兎角、洋楽を聴く良い機会にはなるはずなので、それも含めて今後の楽しみとする。蛇足:運動をしてからシャワーを浴びた後の疲労感とセックスの後の疲労感は何か通ずる幸福のようなものがある。

2021年3月27日 快晴

浅草で行われた「すーぱーレトロEXPO」に行ってきた。いわゆる即売会に参加するのは中学生以来、人生で2回目。昭和や平成初期当時のコレクション、どこか懐かしさを思わせるハンドメイド・グッズ、小冊子や曲など……。回るだけでくらくらするような空間だった。色々買おうと思っていたのだが、なぜか実物を見ると食指が動くものは少ない。来場者は9割方女性で、ほとんどの人が昔のサンリオ・グッズを漁っている。サンリオも好きだが、今欲しいものはそれではない。もっと、昔叔父の部屋に遊びに行ったときに見たような、昭和当時を感じさせるようなものは無いのか……。

どうしたものかと彷徨っていると、物静かそうな男性が「ハルキになる3つの方法」という本を売っているのが目に入った。本を立ち読みしている最中に声を掛けられるのはなかなかに苦手なのだが、この人はとにかく無口で良かった。内容も思わず笑ってしまうもので、迷わずに購入した。良い買い物ができた。

なお、この日一番に探していたものは「レトロ感を思わせる灰皿」だった。中野ブロードウェイに店を開いているという、なんだかコミカルな男性と女性がいるスペースにて運命の出会いを果たす。素朴な顔をしたオスとメスのネコが描かれ、その下にはローマ字で「WATASHITACHI ITUMO HUTARIDE SANPO SITEIRUNDESUYO!」と記されている。たどたどしくローマ字を読んだあと、「そうですか」と思わず口にする。こちらも迷わず購入、300円。いずれ中野ブロードウェイの店にも行ってみたい(この後、店主が「なぜかくもりが3つもあって雨がないお天気スタンプ」の写真を上げていて妙に興奮してしまった)。

この日の目的の最後、「ここまで再現できる人がいるのか」と思うくらい完璧な聖子ちゃんカットをした女性のスペース。この人に似顔絵を描いてもらいたい、と密かに思っていた。昭和を思わせるポップな絵柄で描かれた女の子たちのグッズに囲まれる女性はとにかく可憐で、声をかけるまでにすこぶる緊張した。そもそも似顔絵を描いてもらうという行為はなんだか気恥ずかしいものがある。描いてもらっている間もずっと下を見てしまい、「一瞬こっちを見てください」と言われ女性の顔を見たが、あまりにも綺麗なのですぐに逸らしてしまった。童貞か?絵が完成していく工程は見事なもので、ものの10分で三等身のフルカラーを仕上げてしまった。絵の描き方すら可憐で思わず見惚れていた。似顔絵とは難しいもので、特徴を捉えないと似ないし、かつある程度美化しないとなんだか満足のいく仕上がりにならない。その人の特徴を自分の絵柄に落とし込み、「デフォルメ」するのは至難の業である。それは人生で似顔絵を描いてもらった中で一番お気に入りの作品となった。緊張が勝り、女性にお礼を言いつつ逃げるように去ってしまったのが唯一の心残りである……。

その後は大のお気に入りである神谷バーへ向かった。初めて訪れたときに電気ブランに衝撃を受け、600円のボトルを買って帰ったのだが、家で飲む電気ブランはそこまで美味しくない。あのビアホールのような雰囲気が美味しくさせるのだろうか?わたしの一番のお気に入りはポーク・カツレツ。浅草は街並みの雰囲気も好きだし、神谷バーの他にも行ってみたいお店がたくさんあるし(しかしどこも入るのに緊張してしまうような店ばかり、経験値が足りない)わたしの中で上位に入る東京の好きな街だ。

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名前をつけてやる

わたしは人の名前について考えるのが異様に好きだ。恋人ではなく、友達でも職場の人でも、その人の名前について考えることが好きだ。意味もなくその人の名前を繰り返したくもなる。実際、人の名前を聞いて、「この人にこの名前、全然似合わない」と思うことってあまり無い気がする。

近頃いちばん感動したのは、好きな人の名前である。結局、その人が何を考えているのか、こんなときどう思うのか、等々深いところまで分からなければ心から感動することはできないので、まぁそういうことになる。とはいえ一定以上深い仲になった人は何人かいたとしても、好きな人の名前はとびきり良い。他が比べ物にならないほど。どこか良いか、わたしの目にどう映るか詳しく書きたいが、さすがに公開するわけにはいかないので思考の中で終わらせることにする。ただ一つ言えることは、彼と一緒に居るときの心地よさと安心感を表すための名は、きっと他に存在しないだろう。初めて名前を教えてくれたときはこんなに腑に落ちていなかった。彼のことを深く知ることができたという実感が、わたしを嬉しくさせた。

自分はと言うと、自分の名前は大層気に入っているが、なんだかぴんと来ていない。「この子、とてもよく似合う名前をしている」と他人から思われるための手段をまだ知らない。もちろん、名前に似合うために生き方を変える、なんてことをしたら趣旨からは外れてしまうと分かってはいるけれど……。

感情に名前をつけるのはとても難しい。何十年と生きてきた人間が持つ感情をたったひとつの名前で表すなんて、到底無理な気もする。彼に対して抱くものは「慈愛」がもっとも相応しい気がするが、どこか足りない。それを見つける旅はまだまだ続くだろう。

2021年3月26日 快晴

歳をとるにつれて生理前の症状が悪化してきている。メンタルに加え、身体的にも影響があるとなるとなかなかのダメージだ。体温が上がり、頭もひたすらに重いというのになかなか眠れず、眠剤を飲んだ。今回の薬は今までのように突然効くタイプではなく、時間はかかるものの、苦しみからじわじわと解放されていく心地よさがある。翌朝も怠さが残っていてなかなか起きれなかったが、楽しみにしていた職場の飲み会の日だったのでなんとか起き上がった。

職場までの道の桜が満開となっていた。風に吹かれて舞う花びらに陽の光が当たり、きらきらと降り注ぐ。耳元ではスピッツの「魔法のコトバ」が流れていて、こんな一瞬のために生きているのだと思い出した。どうしても好きな人にその風景を見せたくて、一日ぶりに連絡をする。互いの日々を生きる中で些細な感情を共有できる、これほどまでに崇高で美しいものは無いと思う。

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先入観のせいで楽しめていない曲が世の中にはたくさんあると思う。有名すぎる曲は世間からのイメージにまみれて、その本質を見出すことがとても難しい。経験や思想を重ね、日常の思いもよらない場面で、本質の破片のようなものを見つけることがたくさんある。それを少しずつ拾って食べて生きているようなところがある。もっともっと色々な世界を知りたい。

こんな暖かな日は江ノ島に行きたくなる。人生で何度訪れただろうか。特別好きなスポットがあるわけではないが、わたしが手放しで楽しむことができる数少ない場所だ。江ノ島に限らず、横浜方面そのものがそういった存在だ。思えば専門の頃、就活とバイトに追われている中で、横浜に行くことだけを楽しみに生きていた。馴染みの無い土地で目の前のことを楽しむだけでいいという安心感が心地良かった。ちゃんと思い返せばそんな場所が他にもあるかもしれないが、今はとにかく江ノ島に行きたい。晴天のもと、潮風を浴びながらビールを飲む。それができたら十分だ。

先日見た夢のことを考える。好きな人がわたしから離れ、わたしは夢の中でそれをなんとなく受け入れていたが、身体の大切な臓器がすっぽりと抜け落ちてしまったような喪失感を抱いていた。

未だにすべてが夢なのではないか、と、毎朝起きるたび怖くなる。隣に彼が寝ているときですらそう思うのだから、よほどのことだ。もしも本当にすべてが夢だとするならば、泣き喚くこともなく案外すんなり受け入れられるだろうけれど、きっと一生喪失感を抱いて生きていくような気がする。あの日見た夢の中のままだ。

人はどのようにすれば、心から感情を実感できるのだろうか?詩や短歌さまざまな方法で言語化する、自分の心情を歌ったような曲を聴く、退屈な日々の中で模索して試してはいるものの、まだ足りない気がする。否、足りてはいるかもしれないが、毎日更新される感情についていけていないような気がする。だって少し前のわたしはといえば、毎朝乗りたくもない満員電車に揺られ、代わり映えの無い仕事をやり過ごし、毎晩乗りたくもない満員電車に揺られ、ただ明日に怯え眠るだけだった。心地の良い道を歩くだけで職場に着き、暇なときにはこうして日記を書き、中央線沿いの自宅にてもっとも尊敬する人と過ごすのを楽しみに生きているなんて、到底信じられないのだ。

好きな人と過ごした濃密で輝かしい時間を一分一秒たりとも取り零さないよう、何度も何度も反芻することで精一杯になっている。時間は止まることなく季節は巡り、彼と出会った冬、これから始まろうとしている春が、今後の人生において幾度となくやってくる。その頃わたしはもう少し大人になれているだろうか?